私は、昨年で60歳になりました。60歳というと、すごいおじさんと言う感覚でしたが、いざ自分がその年になってしまうと、“こんなもんか!”と思います。アフリカに生まれた子どもたちの6人に一人は、5歳まで生きることができません。5歳までに幼い命を落とす子どもは、世界全体で年間920万人もいるそうです。最貧国では、子供が5歳まで生きられるとお祝いをすると聞いています。60歳まで生きられたのは、ある意味奇跡とも言えることかもしれません。
生きるということについて、医学部の学生の時に、心に残る経験をしました。それは、解剖の実習でした。私は、不器用で解剖の実習を終えるのがいつも最後でした。ある日の夕方、気がつくと、解剖室には私以外誰もいませんでした。私以外は、みんな死んでいる人でした。解剖室のドアを開けて外に出ると、そこは、夕日がさして、鳥のさえずりが聞こえ、生き生きとした人が道路を行きかっていました。解剖室の中では、死んでいるのがあたりまえでしたが、解剖室のドアを一歩出ると、そこは生きているのが当たり前の世界でした。どちらの世界が当たり前の世界でしょうか? 長い歴史の中で見ると、それは死んでいるのが当たり前の世界で、生きているのが奇跡の世界です。しかし、この奇跡とも言える数十年の人生の中で、我々の何が残るのでしょうか?大きな業績を残した人は歴史に名が刻まれるかもしれません。しかし、私のような凡人は何も残せません。そう考えると、むなしくもなります。すべてが朽ち果てるのかもしれません。
聖書の中に、私に希望を与える言葉があります。それは、私のような凡人でも永遠に残せるものがあると神の言葉は教えてくれています。“もしあなた方に慈愛がなければあなた方は何の価値もない。愛はいつまでも絶えることがないからである。最も大いなる愛を固く守りなさい。すべてのものは必ず絶えてしまうからである”。この奇跡の世界でしか、家族や友人との愛情を育み、絆を強めることができません。そして、愛と言う動機でなされた、すべてのものは絶えることがないと約束しています。
大村市の最高齢者は、105歳、そして、世界最高齢者は115歳です。そう考えると、あと何年という数字が頭をよぎります。しかし、あと何年生きられるかではなく、現在の生活の中で、永遠に耐えうるものがあるかどうか?が、最も大切な命題かもしれません。還暦とは、本卦還り(ほんけがえり)であり、生まれた時に変えるという意味があります。すべてをリセットしゼロに戻り、自分の生活から、朽ち果てるものを捨て、永遠に耐えうるものを生み出す生活をしていきたいと願っています。